■「名前」は大切?
誰かを示すとき、「え~っと、少し太っていて目がパッチリしていて八重歯の面白い人」などと特徴だけで説明する人はいませんよね。物を示す時でも「名前」を示すことでそのものを表すことができます。つまり「名前」=「実体」なんです。
多くの人は、名前に対してこの反対の考え方や見方をしているようです。名前とは便宜上付けられたもので、大事なのは自分個人の身体だと思っています。
しかし、よく考えてみると、世の中の全ては名前によって認識され、動いています。例えば、出生届けで名前を届け出ることによって、社会的に一人の人間として認識され、様々な権利を与えられます。法人も同じで法務局に会社名を登記することにより、社会で活動できるようになります。もっと言えば、自分が所持していると思っている財産やお金も、実は「名前」が持っています。
日本では、土地や家屋も登記簿に、名前を形にした「印」を押すことによって、所有の証とされますし、銀行口座を作る場合も、「印」が必要になります。
事実、「印」さえあれば、他人であっても、たとえ泥棒であっても、あなたの大切な財産を引き出すことができます。反対に銀行で、いかに「自分に間違いない」と声を上げても「印」がなければ取り合ってさえもらえません。
このように、人の肉体そのものは、実際はなんにも持ってはいません。服を着たりアクセサリーをつけたりしますが、お金持ちも、そうでない人も肉体そのものは同じです。むしろ、そうでない人の方が立派な体格をしていたりします。
名前の大切さは、本名を公に呼び合うことを嫌い「安易に名を明かさない」という古い日本の習慣にも表れているようです。
日本銀行の発行する紙幣にはすべて「日本銀行総裁の印」と「大蔵省発券局長の印」が印刷されていますが、戦前・戦中のこの印相が極めて悪く、戦争とインフレになったというので、新千円札と一万円札をつくるとき、当時の大蔵省・日本銀行の幹部が会議のすえ、印相学に詳しい三須啓仙氏のもとで新しい「印」をつくっています。これが、今日の紙幣に押されている「印」です。(写真参照)
■改名と印章
姓名判断などによって字画を鑑定し、良い字画になるように名前そのものや、漢字を変えて、それを日常的に使っている方をときどき見かけます。40~50年ほど前に流行ったようですが、今は減っています。普通の易占学では、運気の吉凶を観ることはできても、積極的に運勢を変えることはできません。
その点 姓名学では、名前を改めて字画を整えることで、凶を吉に転じようとします。
最近は、よく芸能人が改名したりしますが、芸名は自営業の屋号と同じ意味なので良い画数に変えるのはオススメですが、一般の人の場合、戸籍の名前と重複することとなり、数の霊意から二重の影響を受けてしまい 運勢学や姓名学上好ましくない結果になりかねません。
ならば、戸籍を変えよう、と思うとひどくやっかいなことになります。 そこへいくと、印相法ではたとえ名前が悪い人でも、改名で悩む必要がありません。
そのままの字画で凶運を吉運にみちびくことができます。
「そんなうまいことが・・・・」 と、思うかもしれません。でも、本当にそれが可能なのです。
そこに印相法だけが持つ独特の技法があります。
簡単にですが、その技法について少々。
印章は、その人の名前を彫りこみます。謂わば自分の分身という事になります。
その分身に、文字を彫りこむ際、印鑑の輪郭に接触点を持つことによって画数を増やし、なおかつその人の弱い方位を補強し希望する方位への流れを良くします。
これを接点増画法といい、古来から伝えられる花押の法則の秘訣を使います。
ですから、まず正しい姓名鑑定があり、それに基づいて接触点、方位、印相学を駆使し刻印する事により自分だけの印章が誕生します。
これまで、何で印鑑で運が良くなるの?・・印章を作るのに何で字画を見るの?・・と、不思議に思っていた方に少しでも参考になれば幸いです。
■盛り塩の誤解
最近一般のお宅に伺うとき、ときどき、玄関に、盛り塩をされている事があります。
居酒屋や、料理屋、商売をされている方が入口に盛り塩をするのは何ら問題ないのですが、一般家庭玄関の両脇に塩を盛るのはいただけません。
というのも、盛り塩の起こりは今から1700年前の中国(晋)の時代です。
当時の最高権力者(武帝)は 権力と富によって同時に3000人もの愛人を囲っていたそうです。
さあ、そうなると愛人の方では順番を待っていたら皇帝に合えるのは何年後になるのか分かりません。
その中で頭のよい愛人の一人が、門の前に塩を盛りました。
当時の皇帝の乗り物は牛車で、牛が輿を引いていました。
牛は塩が大好きなので、塩で牛をおびき寄せ、皇帝を独占しようとしたのです。
このことで、玄関の塩は大切な人を招き入れるもの、特に商売ではお客様を引き寄せるおまじないとして使うようになりました。
「塩」は清める意味をもつことから様々のことに使われ易いのですが、何でもかんでも「塩」ではおかしくなっていしまいます。
物は、使うべき時に正しく使うことで効果を発揮します。